東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2198号 判決 1963年9月26日
第二二一九号事件控訴人・第二一九八号事件被控訴人(第一審原告) 正木ひろし
第二一九八号事件控訴人・第二二一九号事件控訴人(第一審被告) 弘津恭輔
主文
第一審原告の本件控訴を棄却する。
原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消す。
第一審原告の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。
事実
第一審原告代理人は、昭和三六年(ネ)第二、二一九号控訴事件につき「原判決を左のとおり変更する。(1) 第一審被告は第一審原告のため、月刊雑誌中央公論ならびに日刊紙朝日新聞(全国版)、同毎日新聞(全国版)、および同西日本新聞の各社会面に、見出しに三倍活字、本文に一、五倍活字、記名、宛名およびその肩書に二倍活字を使用して左記文言を、各一回掲載せよ。
謝罪広告
私は、九州管区警察局長在職中、中央公論昭和三二年七月号に「菅生事件と警察の立場-私も公判を傍聴した-」と題する文章を寄稿掲載いたしましたが、その中に、貴殿に関し、事実を無視して非難する簡所があり、多大の迷惑をかけました。
右につき、ここに謝罪いたします。
弘津恭輔
弁護士 正木ひろし殿
(2) 第一審被告は第一審原告に対し一一万円を支払え。(3) 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決を求め、同年(ネ)第二、一九八号控訴事件につき「控訴棄却」の判決を求めた。
第一審被告代理人は、同年(ネ)第二、二一九号控訴事件につき「控訴棄却」の判決を求め、同年(ネ)第二、一九八号控訴事件につき「原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠関係は左記一ないし三のとおり附加したほかは原判決の事実の部に記載されているとおりであるから、これをここに引用する。
一、第一審原告代理人の主張
第一審被告代理人の後記二の(一)、(二)の主張ないし見解は争う。
すなわち、ソフイストの詭弁術あるいは詭弁学派なる表現が、「詭弁」「こぢつけ」「屁理屈」「ごまかし」「強弁」等の意味をもつことは明らかである。
本件論文は、菅生事件において市木春秋こと戸高公徳の異常な行動が明るみにだされ、犯罪者を警察がかくまつているのではないかという批判に対しこれらを擁護し、裁判上不利になつている戸高や警察の立場を裁判の外部に対して有利であるかのように宣伝せんとする意図のもとに発表されたのである。そのため、第一審被告はとくに第一審原告を意識し、その筆先を第一審原告に向けたのである。また第一審被告代理人は共同弁護体制という一見尤もらしい表見を使つて第一審被告の責任を回避しようとしているが許されないことである。刑事事件の弁護においてはその目的は正義の実現という一つのことであつても各弁護人はその弁護活動を行うについてそれぞれ独立して職務を遂行しているものである。
二、第一審被告代理人の主張
(一) ソフイストの詭弁術あるいは詭弁学派なる表現は「うそつき」とか「ごまかし」ということを意味せず、仮にかかることを意味するとしても、きわめて少数の学者その他の知識人のみがこれをしつているだけであるから、右の表現を使つても第一審原告の人格的価値に対する社会的評価の低下はなく、従つて右表現を用いることによつて名誉毀損が成立することはないというべきである。
(二) 本件論文の発表は、次の(イ)ないし(ホ)の理由により、正当な論評として違法性を欠くと考えるべきものであり、仮にそうでなく右論文の発表について第一審被告に多少の不行届、不注意があつたとしても、右論文の発表による名誉の侵害は右の理由により、社会通念上、一般人が受忍すべきであると考えられる程度を超えるものでないから違法性がなく、この論文の発表により名誉毀損の不法行為が成立すると解すべきではない。
(イ) 本件論文発表時、いわゆる菅生事件について第一審原告を含む右事件の弁護人等や被告人等によつて、法廷内のみならず法廷外においても盛んに「駐在所爆破の真犯人は現職警察官」などとジヤーナリズムに流布されていたのであつて、かような状勢の中で本件論文が一般読者に読まれたことを考えるべきである。かような相手方の攻撃的雰囲気の中で読まれれば一般に、反撃的言辞をもつ名誉毀損的要素はうすくなり又は消失するのが普通である。
(ロ) 第一審被告が本件論文を投稿したのは専ら公共的立場からである。すなわち、右のような状勢の下において、ジヤーナリズムにあらわれた警察への非難に答え、警察に対する世人の疑惑を拭い去り、その誤解を解こうとする意図の下に第一審被告は本件論文を発表したのである。他に他人を誹謗しその名誉を毀損する意思は全然なかつたのである。
(ハ) 本件論文の引用部分が名誉毀損になるかどうかは単に引用部分についてのみ考察されるべきではなく、本件論文全体との関連において、すなわちこれ全体の文派の中で考察されるべきである。しかるときは、右引用部分から一般人の受ける印象は余程和らげられたものになる。
(ニ) 菅生事件の戸高公徳の証人尋問の際、同人作成の共産党入党申込書を示しその各項につき尋問をしたものが清源敏孝弁護人であつて第一審原告でなかつたことは本件訴訟になつてはじめて第一審被告に分つたことではあるが、これは事実であるから、これをとり違えた本件論文の引用部分にはたしかに第一審被告の不注意による記載がある。しかし、本件論文は菅生事件の多数の弁護人の弁護活動を全体として批判したものとして受けとれるのであつて、特に第一審原告の名誉を毀損するものではない。
(ホ) 仮にそうでなくても、菅生事件のような多数の弁護人の共同弁護体制における法廷活動においては、そのうちの主役的役割をつとめる弁護人、しかも平素著書や弁護活動において社会的に著名な弁護人が、他の弁護人の技術的巧妙さの功罪を負わされることはあり勝の事柄であり、これは社会一般人として受忍すべきものである。勿論他人の行為を論評するについては、その行為の主体を取り違えることは決してほめるべきことではないが、法廷において証人尋問をした弁護人を取違えることは専門家の間でも稀有の事柄ではなく、いわんや法廷経験のない第一審被告が清源弁護人の尋問を第一審原告のそれと取り違えても、そのことを甚だしく責むべきではない。
三、証拠関係<省略>
理由
(一) 第一審原告が大正一一年東京帝国大学法学部法律科を卒業し、昭和五年頃から東京都内で弁護士の職務に従事しているものであること、第一審被告が永く警察官を勤め、昭和三二年一月から昭和三三年九月まで九州管区警察局長であり、その後公安調査庁調査第一部長に転じたものであることは当事者間に争がない。
(二) また、第一審被告が九州管区警察局長として在職中、中央公論社に「菅生事件と警察の立場-私も菅生事件を傍聴した-」と題する論文を投稿し、同論文が同社の昭和三二年六月一〇日発行にかかる月刊雑誌中央公論同年七月号に掲載されたこと、右論文の中に当時福岡高等裁判所に係属中であつたいわゆる菅生事件(以下単に菅生事件という)の公判廷における証人戸高公徳の尋問に関して第一審原告の主張する次のような記載のあることも当事者間に争がない。
『中野氏は、弁護団側が戸高証言そのものの信憑性を覆すために、戸高氏の共産党入党申込書を持ち出して、戸高氏が非常にウソをつく男、とりわけ職務上の必要のためにウソをついてもよいと信じている男であることを立証したのは成功だつたというが、私の印象はちがう。
この尋問をしたのは正木ひろし弁護人だつたが、そのやり方はソフイストの詭弁術ともいうべきもので、共産党入党申込書を出したという事実について、「この本籍はウソだろう。この名前もウソだろう。………」という工合に、入党申込書そのものが真意に基づくものでないという実質的には一度ですむ証言のかわりに、その一項目ずつについて、一々「ウソです」と何回も何回も認めさせ、「ウソです」という証言の回数を多く得てゆくことによつて、「君は何てウソつきなんだ」ときめつけ、証人の人格を傷つけることによつて証言全体の信憑性を崩してゆこうとするものだつた。私は「なるほど正木さんらしいやり方だ」と感心したものである。しかし私が感心したのは、こういう<詭弁学派的>な形式論理の言葉のやりとりの巧さであつて、決して真実を究めてゆく迫真力ではなかつた。』(右論文中のこの部分を以下引用部分という。)
(三) ところで前記菅生事件の福岡高等裁判所における昭和三二年四月二四日の公判廷において、証人戸高公徳に対し弁護人側から右論文の引用部分に記載されたような趣旨の尋問(その尋問の仕方が「ソフイストの詭弁術ともいうべきもの」であつたか否かは別として)が行われた事実は第一審原告も争はないところであり、また右証人戸高に同人の共産党入党申込書を持出し、その記載内容について尋問し、同証人に本籍、氏名、生年月日、学歴等一つ一つについて「ウソです」という趣旨の証言を繰返させたのは第一審原告ではなくて、右事件の主任弁護人清源敏孝であつたことは第一審原告も認めるところである。しかし弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第五号証(一八七頁以下)によると、菅生事件の弁護人の一人たる第一審原告は、前記公判期日において、清源弁護人の証人戸高に対する尋問の後を受け同証人を尋問し、最後に同証人との間に次のような問答をしていることが認められる。(甲第五号証、二一五頁以下)
問「時間がありませんから、これは答へても答へなくてもいいんだが、あなたは、さつき、職務上うそは止むを得ないと言つた信念は今も変らないでしようか。」
答「今はさきほど申上げたとおりです。現在であれば私としてはそういうことは取らなかつたかもわからないということです。」
問「職務に反しても真実を………」
答「職務に反してはいません。」
問「あなたは今も警察官かどうか僕はわからないけれども、今でも職務のためにはうそをつきましてもやむを得ないという信念を持つていると、我々は考えますが、あなたはこれを否定しますか、答えても答えなくてもよい、これはどうですか。」
答「今のちよつと、はつきりその趣旨がわからないんですが………」
問「今でもそういう職務にある場合にはね、まあそういう職務というか、職務のためならばうそもやむなし、うそをつく商売もあると、そういうことを信じているかどうか、職務上ならばうそをついてもと思つているや否や。」
答「それはその………うそをついてもいゝというふうには思つていませんけれども、その時の状況によつて、職務上ですね、やらなくちやなんないということになれば、これはやむを得ないと思います。」
右のような問答が行われた事実が認められる。そして以上の認定から考へると、第一審被告の論文中前掲引用部分の記載は、清源弁護人の尋問した部分までも第一審原告の尋問にかゝるものとした点において正確を欠き真実に副はないものがあることは明らかであるが、第一審原告が清源弁護人の尋問によつて引出された証人戸高の数多い「ウソである」趣旨の供述を基盤としこれをとらえて右のようなしめくゝり的尋問を行つたものであることも、前認定のとおりであつてその問答の内容からみて第一審原告が右引用部分に記述された証人戸高公徳に対する尋問について全く無関係であつたものということはできない。そして、原審における第一審被告本人尋問の結果によると、第一審被告は福岡高等裁判所において昭和三二年四月二二日から同月二四日まで三日間に亘つて行われた菅生事件の公判を傍聴したのであるが、同月二四日に行われた証人戸高に対する弁護人側の尋問について、特に第一審原告の前掲しめくゝり的な尋問、すなはち同証人が共産党入党申込書に虚偽の記載をしたことなどを認めたところから推して同証人は現在でも職務のためには虚偽の陳述をすることもやむを得ないとの信念を抱くものであるとの証言を引出すことによつて、同証人の同法廷における供述全般の信憑力を崩そうとした第一審原告の前掲しめくゝり的尋問が、非常に強く第一審被告の印象に残つたために、共産党入党申込書を持出しての尋問も第一審原告によつて行われたかのように勘違いして前示のような表現をしたものであつて、故意に事実を曲げて記述しようとする意図は毛頭なかつたものであることが認められると共に、引用部分に記述された論評もその重点はむしろ第一審原告の行つた尋問の点にあつたことが窺はれる。なお成立に争のない乙第一七、一八、一九号証、原審における第一審被告本人尋問の結果によると、第一審被告は前記論文の掲載された中央公論昭和三二年七月号の発行後間もなく第一審原告から右の論文が第一審原告の名誉を傷つけるものであるとし謝罪広告、辞職等を要求する旨の書面を受け、昭和三二年六月一七日福岡市において記者会見を行つたが、その際前示公判期日に共産党入党申込書を持出して最初に戸高を尋問したのは第一審原告ではなく清源弁護人であり、この点につき右論文の記述には一部思い違いのあつたことを認める旨の談話を発表し、翌一八日付の新九州新聞及び大分合同新聞にその趣旨の記事が掲載されたことが認められる。
(四) そこで右論文の引用部分が果して第一審原告の名誉を毀損するものであるかどうかを判断すべきであるが、いうまでもなく特定人の名誉が毀損されたか否かは、被害者の主観によるべきではなく、客観的にその人の社会より受ける評価が傷けられたかどうかによつて決すべきである。
ところで第一審被告の投稿にかゝる前記中央公論昭和三二年七月号所載の論文たることに争のない乙第一号証によると、同論文は投稿者である第一審被告の氏名の左横に「(九州管区警察局長)」と附記して掲載されたもので、右論文の趣意とするところは、要するに当時菅生事件の被告人側や弁護人側から「駐在所爆破の真犯人は現職の警察官であつて、同被告事件は警察側のデツチ上げである」という趣旨の言説が著書や新聞紙などによつて広く流布され(この事実は成立に争のない乙第二ないし第五号証、同第一五号証の一ないし三等によつて十分に窺い得られる。)、警察当局に対する世人の疑惑が非常に高まつていることを憂慮し、警察の立場を弁明しようとするものにほかならないことが認められる。そして右論文中の前記引用部分もこれを成立に争のない甲第一〇号証(一四一頁以下)及び原審証人中野好夫の証言と対照してみると、右は中央公論の前月号(昭和三二年六月号)に掲載発表された「菅生事件の″戸高節″-公判傍聴の印象と意見-」と題する評論家中野好夫の論文の一節に対する第一審被告の見解を明らかにしたものであることを認めるに十分である。すなわち右中野の論文中の関係部分と思われる一節は次のようなものである。(甲第一〇号証一五六頁以下)
『この日の午前は、ちよつと面白かつた。弁護人側は戸高の共産党入党申込書なるものを持出し、その記載内容についてなにげなく訊問しているうちに、戸高が非常にウソをつく男、とりわけ職務上の必要のためにはウソをついてもよい、むしろ当然と思うという、彼としてはめずらしく語尾のはつきりした証言を巧みに引出したことであつた。
これはなかなか興味がある。つまり法廷の証言をも含めて、彼の陳述についての信憑性という大きな問題に関してくるからである。彼のいう職務上の必要ということが、どこまで及ぶかは判然しないが、あるいは彼に法廷の陳述をすら、職務上の必要ということと切離しがたく結びつけて考えているのかもしれない。必ずしも宣誓通り「良心にかけて」真実を陳述することを証人の義務と考えているかどうか保証できぬ。ことにのちにも述べるが、午後の証言を拒んだ理由からみても、法廷証人としての義務よりも、職務上の必要を上において考えている、あるいはそう考えさせられている疑は相当に深い。してみるとこの証言を引出しえたことは、将来判決にどうひびくか、私としては面白かつた。」
(ちなみに前掲甲第五号証によると、戸高公徳は巡査部長として国家地方警察大分県本部警備部警備係に勤務し左翼関係の情報収集の任務についていたが、昭和二七年三月頃上司の命により大分県直入郡菅生村(現在竹田市に編入)方面における日本共産党の所謂軍事方針にもとずく活動の実態を探知するため菅生村に潜入し、市木春秋なる変名で同村の製材業松井波津生方に傭人として住込み、間もなく日本共産党員後藤秀生等に近づき、右の変名を用い、本籍、生年月日、学歴等いずれも真実と異なる記載をして同党への入党申込をしたものであることが認められる。)
(五) 前記法廷における証人戸高公徳の尋問に際し、戸高の日本共産党入党申込書を持出してその記載内容の真偽について尋問したのは第一審原告ではなく清源主任弁護人であつて、引用部分の記述に真実に副はない部分のあることはさきに認定したとおりであるが、しかし入党申込書の記載内容の一つ一つについて真偽を訊し、一つ一つについてそれが虚偽であるとの証言を引出すというような尋問方法をとつたからといつて、こうした尋問の仕方が最も適切な方法であるか否かは別としてそのこと自体、尋問者たる弁護人としての名誉を傷つけるほどのものとは考えられない。従つて引用部分の記述のためにその読者が右のような尋問をしたのが、清源弁護人でなく第一審原告であると誤認したとしてもそのこと自体は格別第一審原告の社会的評価に影響を及ぼすほどのこととは認められない。また右のような尋問の結果にもとずいて、「君は何てウソつきなんだ」ときめつけ、証人の人格を傷つけることによつて、証言全体の信憑性を崩していこうとする尋問の仕方も被告人の立場を擁護することを使命とする弁護人としては、特に戸高公徳のような立場にある証人を尋問するに際し、時にやむを得ないこともあり得るところと考えられるので、右のような記述もまた、その事自体は格別、尋問にあたつた弁護人としての社会的地位の評価に影響を及ぼすほどのものではないというべきである。
問題は引用部分中、第一審被告の批評あるいは感想の表現ともみられる部分、すなわち「そのやり方はソフイストの詭弁術ともいうべきもので」とか、「私は、なるほど正木さんらしいやり方だと、感心したものである。しかし私の感心したのは、詭弁学派的な形式論理の言葉のやりとりの巧さであつて決して真実を究めてゆく迫真力ではなかつた。」という記述であるが、「ソフイストの詭弁術」という言葉が通常一般的にいかなることを意味するものとして使われているかはともかくとして、少くとも引用部分の記述についてこれをみれば、引用部分における右の言葉は、戸高公徳が上司の命を受けて菅生村に潜入し、前記使命を達成する必要上、やむなく氏名、本籍、年令、学歴等をいつわつたことなどを是認した同人の証言をとらえ、同人が今もなお職務のためにはウソをつくこともやむを得ないとの信念を持つものであるとの印象を深めることによつて、一般的に同人の証言全般についての信憑力を失わせようとして行われた尋問の運び方そのものを意味するものであることは、引用部分全体の趣旨から裕にこれを理解し得られる。すなはち右の表現は、単に抽象的に第一審原告を罵倒し、あるいは侮辱する意味合のものではなく、たゞ戸高証人に対する尋問を直接に見聞することによつて得た第一審被告の印象を、右証人尋問に関する具体的事実に即して卒直に表明したに過ぎないものと解することができる。そしてかように理解することは比較的知的水準の高い読者層をもつものと一般的に知られている雑誌中央公論の読者にとつては、さまで困難なことではないと考えられる。もつとも右の批評あるいは感想的な表現が、引用部分に記述された戸高証人尋問に関する具体的事実に照して果して適切なものと称し得るかどうかについては異論もあり得るであろうが、しかしいずれにしても、右の表現はすでに説明したように引用部分に記述された具体的事実についての批判あるいは感想とみるベきものにほかならないものであつて、特にこれを取上げて問題としなければならないほどのものとは考えられない。
要するに、第一審被告の前記論文(乙第一号証)を素直に通読するとき、右批評あるいは感想的表現を合む引用部分は、前記のように尋問の主体について一部真実と違う点はあつても、いまだもつて第一審原告の社会的評価に影響を及ぼしその名誉を傷つけるに足るほどのものとは認めがたい。
このことは原審証人植松正、吉村正、当審証人松下正寿の各証言によつても十分裏付けるに足るものと考えられる。原審証人中島健蔵、波多野完治、当審証人南博の各証言中、右に反する見解は採用しがたい。
右の次第で、第一審原告の本訴請求はその余の第一審被告の主張を判断するまでもなく失当として棄却されるべきものであり、右請求の一部を認容した原判決は右の限度で取消を免れず第一審原告の本件控訴は理由がなく第一審被告の本件控訴は理由がある。
よつて民事訴訟法第三八六条、第三八四条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 谷本仙一郎 堀田繁勝 海老塚和衛)